第2章: 漫画家に俺はなる!

第1章: 漫画家に俺はなる!

 

 

私は、小さいころからお話を作るのが好きで、
桃太郎や浦島太郎などの童話を自分なりに改編して、
友達に話したりしていました。

 

 

「昔、昔・・・あるところに
桃太郎がおじいさんから、エクスカリバーを授かって、
人を食べる巨人を倒しにいきました。」

 

 

「いやそれ色々混ざり過ぎだからね!!」

 

こんな感じの話を作って友達に話す度、ツッコミをもらう。
といった遊びをしてました。
(この話は今、私が勝手に作ったんですけどね。笑)

 

 

そして中学2年生のころ、私は漫画家になりたいと決意します。

 

当時中学生だった話は、
中学を卒業したら「マンガの専門学校に行かせてほしい!」
と母親を説得するも、母親の意向で「高校ぐらいは出て欲しい。」

 

とのことだったので、専門学校も同時に通えるように、
全日制の高校ではなく通信制の高校をあえて選択。

 

 

通信制だからと言って、なまけて高校を進級できるほど甘くありません。
レポートが山のように多く、3問間違えただけで再提出を迫られます。
(私の学校はそんな感じでした…)

 

ちなみにこれだけの量で半年分です↓

 

 

 

それでも、レポートをちょこちょこ終わらせながら、
漫画家になれるように15歳から本格的に頑張り出したのです。

 

 

漫画の専門学校では、
漫画の絵を描いて、集中線などの技法の反復練習。
人体のポーズを何カットも模写したり。

 

 

家に帰っても、休むわけにはいきません。
自分のマンガを描くために、
ストーリーをパソコンのワードに400枚書き
(読書感想文に使う原稿用紙に換算すると、1200枚です。)

 

 

マンガの原稿用紙にネーム(マンガの設計図)を清書して、
その際に、A3のプリンターが必要になって3万円出して購入したり。

 

 

 

来たるべきマンガの持ち込みのために
努力していました。

 

 

それでも、私の描いたマンガを持ち込んで読んでもらった編集者の感想は、

 

 

お話はいいね。でも、絵がダメだね。

 

という酷評。

 

専門学校入学から半年みっちり練習し、

 

 

「先生にも基礎ができているね。」

 

そういわれていたのに、
編集者から下った評価は「絵が下手」ということです。

 

これが夢を追うシビアな現実。
努力しても報われるのは一握り。

 

 

妄想好きな少年が「あっさりマンガ家になれるなんてやっぱりありえないんだな」と、
インクで汚れている自分の手を見ながらヘコみました…

 

 

編集者に言われたのは「絵が下手」ということでした。

 

 

ならば、「練習すればいけるはずだ!」と
前向きに考え、ひたすら絵の練習を頑張ります。

 

 

そこで使ったのが
『30秒ドローイン』です。ご存じでしょうか?

 

 

 

これのことなんですが、
30秒ドローイン

 

3Dモデルのポーズが1枚表示されて、
それが30秒ごとにポーズの違う画像に切り替わっていきます。

 

 

それを時間内で模写していく。
ゲームで言えば「縛りプレイ」ですね。

 

そのドローインをやると早く絵が描けるようになるのと、
30秒なので全部を写すのは無理です。
そのため、無駄な線を描かずに人体をシャープに描けるようになる。

 

 

そういった修行なのです。
(興味があったら実際にやってみてください。地獄ですよ笑)

 

 

延々とひたすらやって、何百枚を超えました。
でも代わりに終わった後は脳みそがオーバーヒートして頭痛が止まないです汗。

 

それぐらいキツイ修行をひたすら繰り返して、
ちょっとうまくなったと思います。汗

 

 

しかし、まだまだ課題は山積み。

 

絵には当然背景も入る。

 

もう嫌になるほど紙を使って練習してきましたが、
それでも、賞に受賞することは至難でした。

 

 

 

漫画の専門学校が終わり、高校2年生になります。

 

専門学校が終わったせいか、
やけにマンガを描くモチベーションがなくなっていたのです。

 

 

最初はちょっとナイーブなのかな。
と気分転換に友達とカードゲームやカラオケなどで遊んでみるも、
全然、描く気にならない。

 

 

次第に「なんで描けないんだよ!」
とイライラする日もでてくる始末。

 

 

専門学校に在籍してた頃は、
先生に毎回マンガの設計図となる「ネーム」を提出していたため、
目の前の目標が明確でした。

 

しかし、専門学校を卒業した17歳の春です。
目の前のやるべきことは見えなくなり、

 

 

結果、漠然とした『漫画家』になりたい。
という夢だけが、残っていたのです。

 

 

何をしていいのか。」
マンガを描くにしても、いつまでに描き上げればいいのか。

 

分かりませんでした。

 

 

今までは「これをこういう風にやってみなさい」
と言われてきてマンガを描いてきたため、

 

「何も言われない」状態に慣れていなかったのでしょう。

 

 

だから、何をしていいのかわからない。

 

 

学生が普段学校に通っていたのに、
夏休みになった途端、遊ぶ以外にやることがなくなるのと一緒ですね。

 

 

そんな状態で半年が過ぎた頃です。
思いもよらない出来事が起きます。

 

 

その出来事で、私はある意味覚醒したのでしょう。
それこそが私が一生ノマドワーカーでありたい最大の意義となっています。

 

 

 

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