母が死んだ 17歳のあの夏

第2章: 母が死んだ 17歳のあの夏

 

 

私はマンガ家になりたいと、ある程度強い決心で、
頑張っているつもりでした。

 

 

 

母を説得して、100万近くもする専門学校に通わせてもらい、
マンガを数本書き上げ出版社に持ち込んだり。

 

 

ただひたすら「自分の考える漫画のお話を世に出したい!」
その夢のために頑張っているつもりでした。

 

 

なのに、専門学校が終わってからは、
やる気が失せ、ほとんどニートのような生活を送ってました。

 

 

はぁ〜このまま漫画家になれないのかもしれない…

 

 

もっと自分はバクマンの主人公のように、
努力に努力を重ねて結果勝利するサクセスストーリーを歩めるのだと。

 

そう信じてたのに、このザマ・・・

 

 

もう漫画家になるのは、半分諦めかけていたと思います。
でも、やりかけの作品だけは終わらせて、
編集者に見せないと。

 

 

そう自分を奮い立たせて3か月。専門学校卒業後、やっと1本完成です。
(初めて、マンガ1本描くのに、これだけの時間がかかりました汗)

 

 

そして、いざマガジン編集者の人の名刺に書かれている
その電話番号にかけました。

 

実は、専門学校に来てくれたマガジンの編集さんに、
自分の漫画を見てもらった事がありました。

 

 

その時の名刺がこれなのですが、
(個人を特定できないように伏せています。)

 

 

 

 

編集さんの名刺

 

 

この時に自分の渾身の力作を見せたのです。

 

「君はもしかすると、今後化けるかもしれない。
だからもし次の作品できたら是非持ってきて欲しい。」

 

 

 

編集さんが「今後化けるかもしれない。」
などと、とてもうれしい一言を頂いたのです。

 

 

だからこそ、この編集さんに漫画を見せたいと考えたのです。
もしかしたら、また励ましの言葉を頂けるんじゃないか。
そんな淡い期待を胸に、電話をかけました。

 

 

電話はつながり、男性の声が聞こえてきます。

 

「はい。もしもし?」
名刺をくれた編集さんの声です。

 

 

 

「あの前回、専門学校の持ち込みブースで漫画を見てもらったしらたきなんですが。」

 

 

 

 

 

・・・・えっと・・・うん?・・・・・そうでしたっけ?

 

 

 

 

「・・えっ。」
ショックでした。

 

 

名刺をくれるから顔を覚えてもらってると思ったのに、
相手の編集さんは完全に私のことを忘れていたのです。

 

 

(補足ですが、忘れていたのは3・4ヶ月も経っていたためで、
この電話のあと、折り返しの電話で普通に思い出してくれてました汗。
お世辞かもしれませんが。汗)

 

 

 

『あーしらたき君か。』

 

「あ、はい。そうです!」

 

 

「持ち込みだね。今月は忙しいから、来月・・・8月の1日でも大丈夫かな?」

 

「はい。大丈夫です!」

 

 

特に予定もないので、8月1日にマンガをみてもらうことになりました。

 

 

 

久々にマンガを描き上げて頑張った私は、
ちょっと浮かれ気分になりつつも、
まだ漫画家志望として頑張ってみようと決意します。

 

でも、そんなポジティブになった私を、
どん底に突き落とす予想だにしない出来事が起こります。

 

 

 

 

母が病死したのです。

 

 

 

 

原因は膵臓にできた末期のガンでした。

 

 

2010年の10月ごろにお腹辺りが痛いと言って、
近くの病院に見てもらった時があったのですが、その時は、

 

「異常はありませんね。」

 

そう言われていたはずでした。

 

 

けれど、震災の年(2011年)の7月から痛みは激化。
ついには脳卒中(脳の血管が詰まって一部脳の機能が働かなくなる現象)で、
母は倒れ、右腕が動かなくなり滑舌まで非常に悪くなってしまう、
という障害まで残るほどに。

 

 

 

母が倒れた時、家には私だけ。
私は救急車を呼んで大きな病院に搬送してもらい母は検査をしました。

 

そしてお医者さんは、
「ご家族の方を全員呼んでもらえますか?」

 

と、私に言ってきたのです。

 

 

まるでドラマやマンガの世界です。
だって、母が倒れ医者の顔が険しいのです。

 

 

確実にこれは「ヤバイ病気だ!」と言っているようなものです

 

 

それから父と弟と母の実家
(私達の家から1キロの場所で銭湯を経営してます。)
のおばあちゃんと伯父さんを呼んで、医師の話を聞きます。

 

 

 

医師「しらたきさんのお母さんですが、まず膵臓にガンが見つかりました。」

 

おばあちゃん「じゃあ、膵臓を取り出せば助かるの?」

 

 

医師「いえ、膵臓を取り出せば体が上手く機能しなくなるため、それは不可能です。
それに例え取り出したとしても脳の血管や肺にも
がん細胞が転移しています。この状態ではもう。」

 

 

私「そんな。それじゃあ・・・」

 

医師「残念ながら。」

 

 

 

 

家族全員、青ざめていました。

 

 

私の漫画の夢を支えてきてくれたのは母です。
感謝してもしきれないでしょう。そんな母を17歳で失うなんて。

 

まるでマンガの中の話です。
でも、こうやって自分がその立場に立たされると感じます。

 

 

余命宣告の恐ろしさを。

 

 

医師の話では、持って7月の下旬だろう。
そういう話でした。

 

 

「けれど、ガン細胞が細胞を浸食する痛みに耐えられないと思うので、
本人が眠らせて欲しいといえばご家族の同意でモルヒネを打ちます。」

 

 

モルヒネとは最強の麻酔薬といった感じで、
痛みながら死ぬのを避けるために永眠導入として使われます。

 

 

 

余命はあと1ヶ月。

 

その間に親戚の人が沢山お見舞いに来られました。

 

お見舞いというか、「最期に一度会わないと」
そういう雰囲気でしたね。

 

 

 

そして7月の中盤、母の意識がまだある時です。

 

母が「苦しい。」と言ってきました。

 

 

原因は医師の言った通り、ガン細胞が細胞を浸食しているためです。
その際に出る激痛はどんなものなのか私にはわかりません。

 

 

そこで母は「もう眠らせて欲しい。」
そう私に言ってきたのです。

 

 

私は医者に頼んで、
モルヒネを打ってもらうよう頼みました。

 

 

 

 

 

モルヒネを打つ直前に、
「何か、言っておくことはありますか?」

 

医者の問いかけに母は頷きます。

 

 

母「お母さんは、おばあちゃんの銭湯に無理やり働かされ続けてきたから、
あなたは絶対に『自由』に生きて欲しい。あなたはそれが似合ってるからね。」

 

 

おばあちゃんというのは、銭湯を経営していた私の祖母のことです。
その祖母は母のガンが発見されるまで、母を銭湯でパートとして働かせていました。

 

 

ただこの祖母が最低の人間で、
パートやお手伝いさんの休みはたったの月2回だけなのです。

 

 

私の母は20歳からずっと銭湯の手伝いをしてきました。
元々、母は薬剤師でエリートコースを歩んでいたのにも関わらず、
半ば無理やり、銭湯の手伝いをさせられていたのです。

 

 

だから母は、『自分の人生は祖母に拘束され続けた人生だった』と生きている間、
いつも私に対して、話してはその度泣いていました。

 

こんな自分だからこそ、息子には自由になってほしい。

 

という気持ちを、母の最期を目のあたりにして痛いほど実感したんです

 

だからこそ。
だからこそです。

 

 

この母の最期の言葉を聞けば誰だったこう考えるしかありません。

 

 

私は『自由に生きる』そのためにはどうすればいいのか。

 

 

 

 

 

ここから漫画家になりたいという気持ちは消え、
ノマドワーカーのような「自由な生き方」が出来なければ自分は生きている意味がない
とまで考えだし、模索するようになりました。

 

 

あ、一応言っておきますが、これ全部実話ですよ。

 

 

 

母はその後、モルヒネの影響でずっと眠ったままで息を引き取ります。

 

これもマンガみたいな話ですが、
亡くなった母の葬式が母の誕生日に行われたのです。
本当に偶然でしたが偶然って怖いですね汗

 

 

・2011年7月26日 母が亡くなる
・2011年7月29日 母の葬式 ・ 母の誕生日でもある

 

・2011年8月1日  出版社へ持ち込み

 

 

なのでそれから数日後に電話で予約した通り、
編集者さんとの漫画の持ち込み日だったため、

 

漫画を持ち込みました。

 

当然ですが、気持ちは沈んだままで編集さんが、
何を言っていたのかほとんど覚えていません。

 

編集さんと話している時も、ずっと自由に生きるとはどういうことか?
そればかり考えていたし、そのことしか考えない日々が始まりました。

 

 

公務員になって決まりきった仕事をして、
決まったお給料をもらっていれば自由?

 

 

いや違うよな。日本は借金沢山してるんだから、
この国の公務員がそのシワ寄せを受けることになってもおかしくはない。
つまりは、日本の公的な職自体が安全とも言えないし、自由でもないよな。

 

 

一見自由そうで、安定そうな職も、
よくよく考えてみると職場に拘束されるので自由とはいえない。

 

例えば、東日本大震災より以前は、
「東電が」安定などと言われてましたが、

 

 

今はどうでしょう?
全然安定じゃない。

 

 

 

私が最初、漫画家を目指した動機の中に、
漫画家こそ、叶えるのは難しいけれど、なれれば自由だと感じていたからなのです。

 

漫画というものは「ファンを作る商売」であり、

 

 

ファンがいれば自分の作ったものは、
ある程度、勝手にファンが買ってくれる。

 

(例えば、幽遊白書を描いていた富樫先生のファンだから、
次の作品「ハンターハンター」を読んでみる。みたいな感覚です。)

 

単行本を出してしまえば、あとは勝手にファンが買ってくれる!
漫画家として名前が売れて行けば、
同人作家としてだってやっていくことができる!

 

そう思い、私にとって漫画家という職は、成れれば逆に安定的だと思ってました。
つまり、中学生の頃の私にとって「漫画家=成れれば安定」という考えだったのです。

 

 

 

夢の職と言われるモノこそ本当は自由であり、安定なのではないか?

 

 

再びこの考え方を見直してみると、
2つの手がかりを発見したのです。

 

 

これを見つけるのに2年の歳月と
100万円という高校生の私にとって膨大なお金を消費したことで、

 

ようやく辿り着いた一つの答えです。
これを知るだけでもかなり勉強になると思います。

 

 

それについては、次章で詳しく話していくとしましょう。

 

 

次章は母の遺言である「自由な生き方」を発見した時から、
私がノマドワーカーになるまでのお話です。

 

 

 

次へ→


 
トップページ 初めて訪問された方へ ご意見・質問